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北奥最大のパワースポット

十和田神社公式サイト
十和田青龍大権現鎮座
十和田八幡平国立公園の「守護神」

迷いを鎮め、力と勇気を授け、開運と幸運へ導く
天翔九頭龍
十和田青龍大権現 南祖坊
青龍権現が鎮座する御倉半島「御室」。神聖な御室の祠の後に鎮座する,噴火でできた巨大な層の天然岩。
その天然岩の層には、まるで、誰かが描いたかのような、「”龍の目”」と呼ばれる岩盤の脈で出来た壁画が、鮮やかに浮かび上がっています。「青龍権現」が鎮座する御室の岩盤の脈、天が刻んだ「”龍の目”」です。平安後期以来、御室に鎮座する「青龍権現の化身の象徴」とされてきました。
平安時代、御室で一念に唱えた「南祖坊の法華経」が岩盤を貫き、祈りが、天に届いた証と伝承されています。法華経とは、万人の平等と全ての生類の救済を唱え「すべての生き物は分け隔てなく平等に成仏できる」と説く、大乗仏教の最も重要な経典の一つとされています。
青龍権現の「”龍の目”」は、時には、「巨大な雲形」となり、紅葉の八甲田山頂や十和田八幡平国立公園全域に、巨大なその姿を現します。冬の八幡平「鏡沼」に「ドラゴンアイ」として現れたり、また、青龍のご加護を授かるとされる御前ヶ浜では、行き交う船も、風も無く、鏡のように光る湖面に、突如、押し寄せる波!ふと、参詣者が気が付くと、いつのまにか静まりかえることがあります。
こうした現象は、ご祈祷やご祈願、ご散供打ちに訪れた参詣者の祈りが青龍権現へ届き、天翔青龍が「御導きくださるお知らせ」とされ、必ずや【ご利益が訪れる現象】と、伝承されています。
古来より、十和田湖の「カミ」青龍大権現と本地仏聖観音のご利益を得るために、長い道を歩いて「難行苦行」の功を積み、霊山十和田の参詣を行ってきた史実は、【新たな未来】へと、世界中から十和田八幡平の聖地「十和田神社」に訪れる人々を介して、受け継がれていくことでしょう。
奥院「龍の目」
世界初公開!
「御室」と青龍権現化身の象徴「龍の目」
最も神聖な御倉半島「御室」
鮮やかに浮かび上る巨大な「龍の目」
天が南祖坊に授けた青龍権現の証
五色岩から御倉半島の先に少し行った所に、一つの洞窟があります。この洞窟は、南祖坊が一念に法華経を唱えた「御室(おむろ)」と呼ばれる、最も神聖な場所で、入り口には「奥院(おくのいん)と書かれた札」が立っています。
また、「奥院」に向かいすぐ左手の波打ち際には、岩でできた小さな洞窟のようなものがあり、その入り口には「南祖坊の石像」が立っています。輪郭などの形状は、波で浸食されていますが石像であることが確認できます。湖水の水量により、湖面に姿を現したり隠れたりしています。
古来より、十和田湖の「カミ」青龍大権現と本地仏聖観音のご利益を得るために、長い道を歩いて「難行苦行」の功を積み、霊山十和田へたどり着いた参詣の最終目的は、南祖坊が鎮座する奥院「御室」を正面に、拝みながら「散供打ち」を行い、「青龍大権現/南祖坊」御倉半島に祈願することこそが、参詣(信仰)の最終目的とされてきました。
武田千代三郎の『十和田湖』(1922年)には、「湖岸の赭岩に一洞窟あり、洞口穹形を為して、一大巨室に通ず人敷十を容るべし、室の左右に隧道あり、右なるは深さ十間許り、左なるは三十間を越ゆ、炬を携えて侵入すれば、無数の蝙蝠人面を撲つて狼狽す、之を御室と云ふ」と、奥院の様子が記されています。
また、近年では、奥院を訪れ「龍の目」を見た人は御室で不思議な体験をしたり、「龍の目を見ていると、まるで宇宙の銀河系を見ているようだ」とし、「宇宙に通じる奥院」と論ずる方もいます。
※注意)奥の院に無断で入ることは、禁じられています。所定の申請をし「許可証」が必要です。「許可証」なき者の入場は、固く禁止しされています。

南祖坊の石像

御室「龍の目」

十和田神社占い場

八幡平鏡沼に現れる青龍権現の化身ドラゴンアイ(龍の目)

宇宙の銀河系

銀河系を彷彿させる
ドラゴンアイ(龍の目)

霊山十和田は、熊野、日光、白山、出羽三山に匹敵する霊山だった!
十和田神社は、明治初年の神仏分離以前は「額田嶽熊野山十灣寺」を号する神仏習合の寺院であり、十和田青龍権現を祀り、現在の拝殿の場所に観音を本地仏として安置する仏堂「十和田御堂」が建っていました。
また、十和田神社の右奥の岩山を登った先の台地は、南祖坊が入定し青龍権現となったと伝える中湖(なかのうみ)と「カミ」の宿る御倉(おぐら)半島の「御室(おむろ)、奥の院」をのぞむ神聖な場所であり、台地を降りた中湖の水際には、参詣者が占いと祈り(散供打ち)を行う占場(オサゴ場)がありました。
その頃は、十和田湖自体が聖域であり、十和田火山外輪山の内側は本来、女人禁制の世界でした。
人々は、その全体を「十和田山」と名付け、カミの住む山の意味で「御山(おやま)」と呼んでいたのです。
外輪山への登り口は、御山に入る入り口になっており、川や滝、鳥居や神社が俗界と聖域を分ける最初の結界となっていました。そして、参詣者が長い山腹の道を登りきって最初の外輪山山頂の峠に至った時、突如、視界が開けて眼下に湖水が広がる、そこが第二の結界であり、湖を礼拝する遥拝所が置かれ、峠を下った湖畔には、最初の散供打ち場「占場」が設けられていました。
人々は、さらに湖畔の長い道をたどり、第三の結界解除川(はらいかわ、現在の神田川)でみそぎを行ったあと、林立する鳥居と杉並木の参道を通って、御山の中心「十和田御堂」に至っていたのです。
何祖坊の生誕
十和田青龍大権現 南祖坊について
霊山十和田開山の「上人」! 伝説の僧侶 南祖坊/なんそのぼう)
南祖坊の生誕について
貞観年間の860年代、平安時代に熊野権現の申し子として、南部町斗賀に生まれたとされています。
南祖坊(なんそのぼう)と通称され、広く親しまれてきた伝説の僧侶で、宝照山普賢院(旧称:七崎永福寺)第2世・月法律師(がっぽうりっし)の弟子となり、月法律師の下で学問を修め(7歳〜10年間ほど)修行したとされています。
その後、熊野三山や全国行脚の果てに、十和田湖に結縁して龍神「十和田青龍大権現」になった、伝説の僧侶とされています。
宝照山 普賢院には、南祖坊の御像である「南祖法師尊像(なんそほっしそんぞう)」が祀られ、『十和田山神教記』の「写本二冊が所蔵」されています。(※詳しい「普賢院」の詳細については、下段のリンクをご参照下さい)
(「宝照山・普賢院(旧称:七崎永福寺)」第65世住職【品田泰峻】 合掌)
2021.10取材記録:NBC Entertainment(株)CEO・写真作家・七崎神社保存「永久の会」 創設者顧問 中村石治

斗賀神社
